公益財団法人白鶴美術館

展覧会情報

2020年 春季展

本館

金×銀×銅

―東洋の金工美術―
概要

 金、銀、銅は、古来、人類にとって重要な素材として、活用されてきた金属です。今回は、東洋の金属工芸を素材や成形・装飾技法から考察してみます。 世界に誇る中国古代、殷・西周時代の青銅器、唐時代の銀器から日本、江戸時代の金屏風まで。当館が所蔵する東洋金属工芸の精華をご鑑賞頂きたいと思います。

主な展示品
<金×銀×銅>金銀平脱花枝鳥獣文八花鏡(きんぎんへいだつかしちょうじゅうもんはちかきょう)
中国、唐時代 D.22.0cm
金銀平脱花枝鳥獣文八花鏡
<金×銀×銅>金銀平脱花枝鳥獣文八花鏡(きんぎんへいだつかしちょうじゅうもんはちかきょう)
中国、唐時代 D.22.0cm

 「平脱」(へいだつ)とは、漆を糊分とした下地に貼り付けた薄い金属の飾板のうえから、さらに漆を塗布し、乾燥後に装飾板の上にかぶった漆をはぎ取る装飾方法のことで、この作品の場合、本体となる銅鏡の背面に金、銀の薄板を花や鳥、ヘラジカなどの文様に切り出して貼り付けている。中国、唐時代の「金×銀×銅」のコラボレーション作品である。
 鈕(ちゅう:鏡の中央突起部分)を中心に、金色の宝相華文、鴨と鴛鴦(おしどり)、雲気と草花文が同心円状に巡る。なお、黒く変色した銀製の飾板は下地と同化してわかりにくいが、例えば、鏡の鈕穴を横向きにして天地二個所には、上下に金の雲気を伴うヘラジカが、また鏡左右二箇所に金の綬帯(じゅたい:リボン)を銜える鵲(カササギ)がみえてくる。これらの文様は作製当時、黒い下地に映える主文様として光をはなっていたことだろう。
 時代を経て、この作品から金銀銅それぞれの性質を感じることができるのも、古美術としての愉しみといえる。

<銅>重要文化財 象頭兕觥(ぞうとうじこう)
中国 殷(商)時代 H.17.2cm 伝河南省安陽殷墟出土
重要文化財 象頭兕觥
<銅>重要文化財 象頭兕觥(ぞうとうじこう)
中国 殷(商)時代 H.17.2cm 伝河南省安陽殷墟出土

 この種の器形の青銅器を兕觥(じこう)と呼び習わしているが、本来、兕觥は水牛の角の酒杯のことを指し、殷王朝や西周王朝の人々が何と呼称していたかは不明である。
 蓋を取り去った形状は「匜(い)」と呼ばれる手を清める際に水を注ぐ器とよく似ており、歴史的に概観すれば、殷(商)後期から西周中期まで酒を注ぐ役割を果たす身に蓋を伴う器形から、西周中期以降戦国時代の間、蓋のない水を注ぐ四脚の匜へと遷移したのかもしれない。便宜上、解説文では兕觥を踏襲する。兕觥として分類される青銅器は、蓋前方に獣頭が施され、身の注ぎ口(流)が喉元となり反対側の端に付けられた把手<鋬(はん)>が場合によっては尾の役割を果たす。この象頭兕觥は言葉の通り、蓋の注ぎ口側が、長い鼻と2本の牙を有する象の頭部に象られている。その辺りに目をやれば、両側に毒蛇らしきものだけでも3種6匹が見つかり、器全体では何十もの怪獣文様が地の雷文共々、鮮明な鋳上りで表されている。その内、身の側面に注目すると上(前半部は流)・中(腹部)・下(圏台)の三区画に分けられ、上の前半には夔龍文、後半にはウサギと虎、中の腹部中央は饕餮文、下の圏台には尻尾が毒蛇形の虎が居り、半環状の把手は鳥の側面形を基本として、その鳥の後頭部を把手の上の付け根から頸を伸ばした怪獣が齧り付き、鳥の下半身に下からずんぐりむっくりした双角の怪獣が喰いつく複雑な意匠である。最後に蓋に目を遣ると、象の後頭部から背中かけて2種の饕餮もどき、一対の夔鳳文、饕餮文が続き、臀部側には、立体的な夔龍形の双角を有する人面と饕餮を融合させたような獣面が睨みを利かせている。

<銅>白銅海獣葡萄鏡(はくどうかいじゅうぶどうきょう)
中国 唐時代 D.21.3cm
白銅海獣葡萄鏡
<銅>白銅海獣葡萄鏡(はくどうかいじゅうぶどうきょう)
中国 唐時代 D.21.3cm

 白銀色に輝く上質の蠟型鋳造鏡(銅・錫・鉛の含有量が恐らく70%・25%・5%程で白銅と呼び習わされている)である。海獣葡萄鏡の出発点を初唐前半期頃とした場合、この鏡は初唐後半期頃に位置付けられる。鏡背面を見ると中央に置かれた鈕(ちゅう)の形が半球形ではなく伏獣形に変化し、内区・外区を隔てていた鋸歯文帯(きょしもんたい)が消え、替わりに連珠文帯が現れる一方、その外側には隋・唐初期の鏡に見られた銘文帯の名残り(棚状の段)がある。すなわち鏡胎に少し古い形式が残存していると同時に、連珠文帯や葡萄の房の中に混じる石榴果(ざくろか)など新しい要素を含んだ鏡へと展開したのである。内区は3方向へU字形に張り出した葡萄唐草の蔓の内側と外側に1頭ずつ計6頭の狻猊(さんげい 獅子の類、かつて西アジアからインドにかけて棲息していたライオンがモデル?)が交互に表現され、外区には5羽5頭の禽獣<鴛鴦、鵲(かささぎ)?、狻猊、有翼馬(翼といっても翻る紐状のようなもの)、麒麟(きりん)など>が交互に左回りに廻り、葡萄唐草が配されている。蠟型の制作手順としてはブドウから草を最初に扶持し、その後、散華やオシドリなどの近習を配したのであろう。
 なお、伏獣形の鈕の鼻先に表された鬣(たてがみ)が豊かな小さく丸い耳をした狻猊の右後ろ足に注目すると、ネコ科特有の爪が出し入れ可能な3本指が印象的である。

<銀×金>重要文化財 
鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗(ときんりゅうちえんおうそうぎょもんぎんせん)
中国 唐時代 H.5.2cm
重要文化財 鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗
<銀×金>重要文化財 鍍金龍池鴛鴦双魚文銀洗(ときんりゅうちえんおうそうぎょもんぎんせん)
中国 唐時代 H.5.2cm

 冷たい輝きを放ち、展延性に優れた銀には、金や銅とは異なる魅力が備わる。中国では唐時代に、その特性を生かした鎚鍱(打ち出し)技法が発達したが、本作は唐代銀器を代表する作品。
 安定した器形と、精緻な文様が相まって圧倒的な迫力が生み出されている。鎚鍱によって作られており、外面に14個の花形と滴形の凸面の枠が設けられる。枠の中には、植物や唐草文を表す。唐草は、形態を単純化しつつも花弁の折り重なりを表現する花と流麗な茎からなる。また、枠の上下の空間には、鴛鴦、鴨、戴勝などの鳥や鹿、狐など計33体の禽獣が植物や石、雲気の間に配され、各々思いのままに行動している。底裏には、華やかな宝相華文が刻まれている。
 これら文様の輪郭は全て楔形の彫りを連ねて線とする蹴り彫りという技法で力強く引かれ、また、文様間の空間は小さな粒状の魚々子文で埋め尽くされる。この魚々子文は、一説に金粒などを器の表面に細かくつける技法を模したものではないかとも言われる。内底には、本体とは別に鎚鍱した銀板をはめ込むが、水面に顔を出す龍のような怪獣を中心として、その周囲を鯰、鴛鴦、鯉が泳ぎ回る様子が表されている。本作品が水と関係することを覗わせるが、その具体的な用途は不明である。 類品が、米国のカザスシティ・ネルソン=アトキンズ美術館に所蔵されている。

<銀×金>重要文化財 
鍍金花鳥文銀製八曲長杯(ときんかちょうもんぎんせいはちきょくちょうはい)
中国 唐時代 H.3.6㎝
重要文化財 鍍金花鳥文銀製八曲長杯
<銀×金>重要文化財 鍍金花鳥文銀製八曲長杯(ときんかちょうもんぎんせいはちきょくちょうはい)
中国 唐時代 H.3.6㎝

 銀の鎚鍱作品は、ペルシアなどの西方地域で早くに発達したが、中国唐時代の銀器もその影響を受けて制作された。本作品は、正にそのことを端的に示す作品であり、ササン朝ペルシアの4、5世紀頃の現存作例と器形が類似する。直径僅か15cm程の作品であるが、東西交易の様相を雄弁に語る存在である。制作年代7世紀末~8世紀初頃であろう。
 端正に打ち出された内面は、鎚鍱の痕跡と銀そのものの輝きが相まって複雑な色彩を帯びている。表面には、蹴り彫りによって文様が刻まれ、地は魚々子で埋められ、魚々子以外の主文様と各曲面の縁は鍍金される。文様は、宝相華唐草の場面と、鴛鴦や鴨などがツガイで向かい合う場面を交互に繰り返し、器の面に沿って伸びやかに表される。鳥はツガイ四組とその上部に配される飛鳥とを合わせて計一四羽登場する。横長の側面の中央下端(高台との接点)には、岩(山岳)が配されており、そこから植物が広がり、やがて上部の鳥へと繋がる様子は、画面が幕開けて生命の営みを表現するかのようである。一方、高台は、身と異なり六曲で、外面に宝相華を刻む。八曲と六曲の部材が見事に調和し、全体のバランスを形成している。

<金>金製蝉文飾(きんせいせみもんかざり)
中国 六朝時代
金製蝉文飾
<金>金製蝉文飾(きんせいせみもんかざり)
中国 六朝時代

 上部二つの大きな半球型の金を眼として、羽を広げた形となっている。輪郭線などには薄い金板に溝を作りそのなかに大小の金粒を連ねている。口周りの螺旋状細部は極めて繊細な造形がみえる。
 この作品は皇帝の近臣がつける金璫(きんとう:冠飾)といわれる。中国においてモティーフの蝉には様々な意味が込められてきた。土から這い出して羽を広げる生態から生死や埋葬との関りを示すことが多く、玉で象り死者の口に含ませる邪気封じとして、また復活のシンボルでもなっている。それとは別に、蝉が露のみを食するとの考えに基づいた「高潔さ」の象徴が、金璫のモティーフの意味とする。
 貴重な金は権威ある高官に相応しい輝きである。それだけでなく、金は変質しにくい貴重な素材として古来、人びとが利用してきた金属である。人類が憧れてきた永遠性に、変わりない心を重ねたものだろうか。

<金×銀×銅>富士・三保松原図屏風(ふじ・みほまつばらずびょうぶ)(左隻)
日本 江戸時代 円山応挙落款印章
富士・三保松原図屏風
<金×銀×銅>富士・三保松原図屏風(ふじ・みほまつばらずびょうぶ)(左隻)
日本 江戸時代 円山応挙落款印章

 日本の絵画における金は装飾的な要素として欠かせない色であり素材である。特に金屏風の金箔は、金を極限まで薄く引き伸ばし、紙に貼りつけるという金の工芸技法ともいえる。 この作品では画面の三分の二が金箔で覆われている。中央左寄り、白富士には銀を散らして雪の輝きを表している。さらに左上に群青の鮮やかな空が見えるが、元来、雲形にする金と反転した恰好になっている。
 右下には鮮やかな松が見え、右隻の松原図へと続いていく。明瞭な輪郭線、「金・銀・白・青・緑・茶」という色数の少なさ、顔料という素材感がデザイン的な爽快さとなっている。 富士とは元来、霊山であり信仰の対象である。金雲・金霞を伴い聖なる空間として描かれてきた。煌びやかな金の装飾性の奥にある宗教的な聖なるものが吉祥と転じた例のひとつとなっている。

資料