展覧会情報
2016年 春季展
映し、写しと文様の美
概要
今回は当館所蔵品を「うつし」のテーマでみてまいります。
映す道具である「鑑(かがみ)」の字形は、大きな水甕をのぞきこむ人を象(かたど)ったものとされます。そして鑑物と称される歴史書の「鑑」のように、映しみる機能から転じて、認識し手本とする意味を含んでいます。
美術作品もまた、その時代の技術や思想・造形感覚を示す鏡といえるでしょう。
すなわち、異なる素材であっても同じ文化における共通の表現や造形は、その思想を反映します。また、多くの優れた作品は、人びとの憧れの対象となり、手本となって写されました。
こうした美術の「写し」には、筆の正確さを求めた絵画の模写や、失われた材料や技術の再現を求めた近代の正倉院模品のように、先人の表現を学び、捉えようとしたものがあります。また、地域、時代・年代を経て伝播する類似の形状や文様、また古典の物語絵などにもみられるように、変容しつつ伝わることも「写し」がもたらす文化であるといえます。
この展示では「思想を映す」・「形を写す」というふたつのテーマを基に、個々の作品を作成された時代に照らしてご覧いただきます。東洋のこころを写す古美術、その写しもまた、「鑑」であり、それをみつめる私たちの文化を豊かにするものである、といえるのではないでしょうか。
主な展示品
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蟠螭文大鑑(ばんちもんたいかん)中国 春秋時代 通高37.3cm
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蟠螭文大鑑(ばんちもんたいかん)中国 春秋時代 通高37.3cm
口径80㎝の大型の青銅器である。獣面をあしらった三つの持ち手とひとつの獣形突起が付く。この突起は側面の内部から口へと通じる管となっている。胴部を飾る蟠螭文は、複数の動物文が変化し帯状に絡みあうもので、春秋・戦国時代に代表的な文様である。蟠螭文の上部には鱗文が描かれる。
同時代の器形名として記される金文は、大きな目を頭部とする人形(ひとがた)が、大きな盥型の器のなかを覗きこむ形であり、それが「鑑(かん・かがみ)」という漢字の原型である。こうした大きな盥は、水鏡と推察されるが、それを覗き込むことは、自己を「映」し、そして「鑑(かんが)みる」ことに通じる。
水鏡であるためには、水面が揺らいでは、映すという機能を求めることは難しい。この作品では水位が先の獣形突起より高ければ、その口から水が流れ出すような構造を持つ。問題は水の供給方法や頻度などだが、この器自身からはそれを知ることはできない。ただし、この口がかなり上部に付けられていることは、それだけ高い水位を保つことを求められたということだろう。少なくともそれだけの貯水機能が求められた器であったことは確かである。
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鍍金画文帯四神四獣鏡(ときんがもんたいししんしじゅうきょう)中国 後漢時代 胴径14.2cm
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鍍金画文帯四神四獣鏡(ときんがもんたいししんしじゅうきょう)中国 後漢時代 胴径14.2cm
四人の人物像が描かれているが、まずいずれも正面を向いて座し、背からのびる羽(あるいは雲気)が強調的に描かれているのが西王母・東王父の二神である。彼らは鈕を中心に対称位置に表される。それぞれの神は左右に獰猛な獣を従えるが、牙をむく口にくわえるのは馬銜(ハミ)とみることもできよう。その姿は二神それぞれに恭順する神獣を示すものと思われる。
神獣を背の間に配された人物像がまた鈕を中心に対称位置に描かれる。その一人は膝に乗せたものに両手をかざしている。同種の鏡に琴を抱え、奏でる姿とみえる例も多く、これもその図様のひとつと思われる。これを春秋時代の琴の名手、伯牙(修行のため蓬莱山まで赴いたとする)とし、もうひとりを彼の琴の音を愛した親友、鐘子期と解することが多い。
この鏡の背面は、神仙世界の神々とその世界を理想とする人びとの伝説を映しだしているのである。
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螺鈿楼閣人物図盒子(ろうかくじんぶつずごうす)中国 元時代 径34.0cm
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螺鈿楼閣人物図盒子(ろうかくじんぶつずごうす)中国 元時代 径34.0cm
楼閣山水や楼閣人物図は宋時代の絵画や堆朱(漆を何層にも重ねて彫る技法)にも数多くみられる画題であった。この作品では螺鈿によって著わしている。松の枝や芭蕉の葉などの色に目をやると、絵画として螺鈿による彩色にも心を砕いたことに気づかされる。
夜光貝などを文様に切り出した螺鈿は、唐時代に流行したが、実は一旦、中国工芸の表舞台から消えている。元時代に再び、薄くした薄貝となって用いられるようになるが、螺鈿は日本の技法として記されるのである。
画は、美しい楼閣の屋内外で、富裕階級が琴・書画や茶などを楽しむ姿である。「琴棋書画」とも称され、中国の文人(教養人)の姿を写したものとして、日本でも憧れをもって盛んに描かれた画題である。
展示期間:後 4月19日~6月5日(日)
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重要文化財 瀟湘八景図画帖(しょうしょうはっけいずがじょう)一帖の内「煙寺晩鐘」(えんじばんしょう)日本 室町時代 祥啓筆
紙本墨画淡彩 35.5×23.6cm -
重要文化財
瀟湘八景図画帖(しょうしょうはっけいずがじょう)
一帖の内「煙寺晩鐘」(えんじばんしょう)日本 室町時代 祥啓筆
紙本墨画淡彩 35.5×23.6cm中国で古来景勝の地として名高い瀟湘(しょうしょう)<湖南省洞庭湖畔>の八ヶ所の佳景<瀟湘夜雨(しょうしょうやう)、洞庭秋月(どうていしゅうげつ)、遠浦帰帆(えんぽきはん)、煙寺晩鐘(えんじばんしょう)、平沙落雁(へいさらくがん)、漁村夕照(ぎょそんせきしょう)、山市晴嵐(さんしせいらん)、江天暮雪(こうてんぼせつ)>を描いたものです。もとは各図とも左側に配され、それぞれの右側に八景詩が付せられていた可能性があります。
筆者の祥啓は室町後期の建長寺(鎌倉)の画僧で、文明十年(1478)に上洛して、将軍家同朋衆を務めた芸阿弥(1431~85年)に師事し、3年間に亘り幕府御物の唐絵を研究しました。<明応二年(1493)にも京に来ています。>山水、人物、花鳥と画種は多様ですが、最も山水画に優れ、鎌倉水墨画壇の中心人物の一人として、以後の鎌倉周辺画家に与えた影響はとても大きいものがあります。この図は水墨を基調に、藍や代赭(たいしゃ)などの淡彩を加えた、真体の山水画で、祥啓作品の中で、最高傑作との呼び声の高いものです。背を丸めた老僧と傘を背にした従者の歩みに目を留めて下さい。僅かの筆数にもかかわらず、二人の気持ちが伝わってくるようではありませんか。
なお、各図に「祥啓」の白文重廓隅丸方印が捺されています。
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重要文化財 四季花鳥図屏風(しきかちょうずびょうぶ)六曲一双日本 室町時代 狩野元信筆 紙本金地著色
各162.4×360.2cm -
重要文化財 四季花鳥図屏風(しきかちょうずびょうぶ)
六曲一双日本 室町時代 狩野元信筆 紙本金地著色
各162.4×360.2cmこの屏風は、狩野派400年の基礎を固め、確立した第二代・元信(1476? 1477? ~ 1559年)が成し遂げ、桃山時代に大流行した和漢融合(大和絵と漢画の持つそれぞれの特色を調和させる)の金碧障屏画(きんぺきしょうへいが)の内、室町時代唯一の現存作例です。なお、元信は花鳥を画題とした金屏風を明の皇帝への進貢品としても描いています。それらが現存していない今、この屏風は更に貴重な文化遺産です。屏風左右端下方に「狩野越前法眼元信生年七十四筆」の墨書落款があり、その下に「元信」(朱文壺形印)が捺されています。
左右から力強く張り出した松、両隻にまたがる竹林、土坡と岩、水流と滝を骨格として、金雲の棚引く景の中に、右隻から左隻へ、紅梅・桜・楓・椿・白梅を配し、そこに牡丹・菊・芙蓉等をあしらい、更に自生する小草花を描き込んで推移する季節感を巧みに表現しています。また、色鮮やかな孔雀・小鷺・鴛鴦・錦鶏鳥等を季節の景との対比において際立たせています。そして空中を飛翔し、枝上・岩上・地上にとまる様々な鳥たち、すなわち、ウソ、ヒレンジャク、コウライウグイス、サンジャク、ミヤマホオジロ、コマドリ、スズメ、ハクセキレイ、シジュウカラ、ノゴマなど屏風全体で57羽もの鳥が実に生き生きと描き込まれています。
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酒天童子絵巻(しゅてんどうじえまき)江戸時代 長31.5cm
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酒天童子絵巻(しゅてんどうじえまき)江戸時代 長31.5cm
「酒天童子」は平安朝を舞台にした鬼退治物語のひとつで、山深くに住み悪事を働いていた酒天童子が、神仏の力をかりた源頼光らによって打ち滅ぼされるというものだ。この画は、本性を現し鬼の姿と化した酒天童子が頼光に討ち取られる場面。鬼の首が黒雲の空を舞い、頼光の頭部に喰いつく―、ヒーロー絶体絶命のクライマックスである。多くの絵師がこの名場面を描いてきた。同様の構図は多くみられ、それだけに多くの人びとが共有するイメージである。また、それだけに絵師にとっては画技や演出のみせどころでもあろう。
この作品の作者を示す落款や奥書はないが、江戸中期の狩野派の絵師が描いたものと思われる。鬼の体毛を金色で描き霊的な強さを示す。また金と墨で描かれた黒雲を伴って飛ぶ鬼の首などは、劇的な印象を演出している。
展示期間:Ⅱ 4月5日(火)~5月8日(日)
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石清水臨時祭・年中行事騎射図屏風(いわしみずりんじさい・ねんちゅうぎょうじきしゃずびょうぶ)のうち 年中行事騎射図屏風(部分)江戸時代 通高155.0cm
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石清水臨時祭・年中行事騎射図屏風(いわしみずりんじさい・ねんちゅうぎょうじきしゃずびょうぶ)
のうち 年中行事騎射図屏風(部分)江戸時代 通高155.0cm冷泉(岡田)為恭(1823~1864)は京狩野の家に生まれた絵師である。進むべき道を大和絵にみいだし、古典絵巻を模写、有職故実を探究した画家である。十代後半にはすでに「才いみじく画尤(もっとも)工(たくみ)なり」という評を得ており、天保十四(1843)年、江戸幕府御用絵師狩野養信から『年中行事絵巻』を依頼されている。この作品が描かれたのは、安政五(1858)年以降、文久二(1862)年以前、為恭が三十代後半に描いたものとみなされる。
画題は、右隻(屏風一対のうち向かって右側)が南祭といわれた石清水八幡の臨時祭。左隻が石清水の祭に対して北祭と称された京都賀茂祭(現、葵祭)である。左隻の元図は住吉如慶(1599~1670)らによって江戸初期に写された『年中行事絵巻』(平安時代に描かれた原本は焼失)の白描(墨線描き)画、右近衛の騎射にある。しかし、ここに描かれた彩色は為恭が探究の末に復元した古典画の世界なのである。
展示期間:Ⅲ 4月5日(火)~5月8日(日)
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墨絵弾弓森川杜園作 正倉院模品
明治時代 通高80.2cm -
墨絵弾弓森川杜園作 正倉院模品
明治時代 通高80.2cm箱書により、明治22(1889)年に森川杜園(1820~1894)が製作したと知れる作品である。森川杜園は、幕末~近代奈良の木彫家として高名であるが、明治にはいり、正倉院などの宝物調査が行われた際、作品模写を行っている。この作品は正倉院に所蔵される「墨絵弾弓」を1/2に縮小した模品であるが、これについても正確な模写が残されており、杜園の絵画的技量の確かさを感じることができる。
弓の表面に描かれた画は散楽(さんがく)の図といわれ、笙や太鼓・シンバルなどを奏する人びと、音楽にあわせ袖を翻す舞人、ジャグリングや長い柱にのぼり技などを披露する曲芸師と、アクロバティックな状景である。半分に縮小された画面にもかかわらず、墨一色で「写し」された曲芸師たちの風俗や体の動きなど、その描写は見事というほかない。