昭和9(1934)年5月、白鶴美術館は、白鶴酒造七代嘉納治兵衛(雅号鶴堂・鶴翁:1862‐1951)の寄贈品500点をもとに開館しました。以来、東洋古美術を収蔵する美術館として、春・秋2回の展示を軸に活動を続けています。
今回の「開館90周年記念展 秋季の部」では、創立者嘉納治兵衛の文化人としての事績を辿りつつ、関連する日本・中国美術コレクションを展示いたします。
嘉納治兵衛は、奈良、興福寺に縁のある中村家に生まれ、幼少より古美術に親しんで育ちました。今回の展示品のうち、興福寺伝来2件の「四季花鳥図屏風」(展示替あり)は、幼少期に目にしていた絵画です。教職につき、後に漢学者を目指した京都での修学期を経て、明治20(1888)年、酒造業を営む灘の嘉納家(白鶴)に婿入りします。
三〇代より古美術蒐集を始め、趣味とした煎茶や抹茶においても古美術作品を扱い、同好の人びとに鑑賞する機会を供していますが、中国古代青銅器など、考古遺物の優品蒐集をきっかけに、昭和6年、コレクションの一般公開を目的として当館を設立しました。
是非この機会に、近代日本において嘉納治兵衛が志した美術思想普及に想いを馳せつつ、その人生を彩る美術作品をご覧いただければと思います。
なお、開館60周年記念事業により建てられた新館では、「中東絨毯の美 ―アナトリア編」と題して、アナトリア絨毯20点を展示します。合わせてご観覧ください。
殷時代 H.27cm
把手(とって)には、大きな角をもった動物の頭か表され、蓋の摘みは蝉文繋ぎ、脚・蓋上と蓋直下の頸部には、帯状に連なる円文と花弁形文の反復が配される。ただ、装飾過多の中国古代青銅器のイメージとは異なり、シンプルさが際立つ。
蓋から身までひと続きのS字を描く輪郭線の流れるような器形は、その完成度の高さを感じさせる。下膨れ型は、西周時代にも多くみられる器形である。蓋と身の口との重なりは深く、密閉性のある造りとなっている。外気を遮断する保存機能を意識したものか。
蓋裏には4行44字にも亘る金文が記される。母を祀るために造られた青銅器である。
南宋時代 H.12.7cm D.19.5cm
大振りでどっしりとした円筒形の香炉である。この器形は、漢時代の温酒器、尊(そん)を象ったもの。
型押しで作られた同形の牡丹文が四つ、細い蔓で繋いで配される。厚くかかった釉の下で、かかりが薄くなる凸線部が白くみえ、レリーフ状の文様が柔らかに表れる。底裏に見える胎は硬質で白い。この白さが全体にすっきりとした青磁釉の印象をもたらしているようだ。
奈良、法華寺の什物であったことが知られており、伝来時期は不明だが、長らく同寺の香炉として仏前を荘厳し、その役割を果たしていたのだろう。
古墳時代 H.6.1cm W.4.7cm
頭に三本の刻みがある「丁字形」で、当館所蔵のなかで最も大きなもの。翡翠の色も深い。穿たれた穴は片面が4.0㎜弱、もう一方が6.5㎜強で、片側から段差なく貫通しているようだ。本体側面はよく研磨され、尾側の先端は特に滑らかな丸みをもつ。
勾玉は、紙と木を主とする日本文化において異質にも思える文化財だが、その原形は牙とも胎児の形ともされ、日本で発生した形状といわれる。明確な由来は判然としないが、原料である硬玉翡翠の産地も限られるようだ。元来、装身具として使用されたことは、墳墓や、埴輪などの人物表現からも裏付けられる。弥生時代後期から遺品がみられ、古墳時代に最盛期を迎えている。
室町時代 各 H.162.4cm W.360.2cm
→コレクションのページをご参照ください。
展示期間:11月17日(日)~12月8日(日)
昭和24(1949)年 H.39.7cm W.113.8cm
当館創立者、嘉納治兵衛が八十八歳に揮毫した書である。同年に記された同じ表装の扁額があり、そちらは丸みのある書体で「楽静」の二字となっており、自邸に掛けられていたものだ。二つを比べると「観古」の勇壮な筆跡には、公的な場に掛かる書としての意識が窺われるように思う。
「古(いにしえ)を観る」とは、歴史を考察することを意味する。賀寿にあたり、この年の1月には最後の大きな自祝茶会が催され、5月には美術館の開館15周年記念として、「青磁・天目」展が行われている。美術思想普及のため、蒐集と展示活動を続けてきた古美術愛好家の人生において、この二字に託された想いの強さが窺われる。
展示期間:11月17日(日)~12月8日(日)
〒658-0063 神戸市東灘区住吉山手6丁目1-1
TEL/FAX:078-851-6001