展覧会

2020年 秋季展

本館

陶色遊覧 ―taoseyoulan―

古来、素材に恵まれ、発展を遂げてきた中国陶磁。各時代に生み出されてきた美しい器の色は、長く世界を魅了してきました。当館にはその優品が所蔵されています。今回の展示では、唐・宋・明の時代ごとに特徴的な色調を軸にしつつ、その変容をみていきたいと思います。

唐 ―黄と緑―
  陶磁器の中でもよく知られる唐三彩は、鉛釉で彩られています。中国では、鉛釉は漢時代から用いられてきましたが、唐時代に緑、黄、白を基本とする三彩が確立すると、点彩、筋がけなど釉による表現の幅は飛躍的に広がりました。西域の息吹きを感じさせる「唐三彩鳳首瓶」では、釉色が交じり合いながら、文様を浮かび上がらせ、平面に雁と蓮の葉を描く「唐三彩荷葉飛雁文盤」では、釉色そのものが蝋抜き技法と共に文様を形づくっています。

 

宋 ―青と黒―
  灰釉を基本とする青磁と黒釉。どちらも鉄分の発色といいます。左の花生は、「砧青磁」として有名な南宋青磁で龍泉窯の器。龍泉窯は、「ひそく」(秘色)の青磁で有名な唐時代の古越磁(越州窯)の影響を受けたとされます。銹(さび)色が美しい釉色の茶碗は「河南天目」と呼ばれる華北産です。後漢時代に展開し始める黒釉は、先の越州窯にもみられ、その生産が早い段階で広範囲に行われていることもわかっているのです。

 

明 ―赤と金―
  金時代の磁州窯系に淵源を有する上絵付け(釉上彩)技法は、いつしか景徳鎮へ伝播し、やがて明時代成化(1465~87)の官窯御器廠(ぎょきしょう)で「豆彩」と呼ばれる品格ある五彩(色絵)として頂点に達します。その後、急激に生産量が増加した嘉靖(1522~66)から万暦(1573~1620)頃に、五彩は全盛期を迎え、その代表作が華やかな「五彩魚藻文壺」で、一方、五彩に金箔や金泥で装飾を施した絢爛豪華の極みと言えるのが、民窯の「金襴手」です。

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主な展示品

唐三彩鳳首瓶(とうさんさいほうしゅへい)

中国 唐時代

唐三彩を代表する作品。白化粧の上に透明釉をかけ、更にその上に緑色と黄褐色の釉薬を流しがけしている。緑と黄褐色が交り合い、美しい流斑が見られ、それが立体的な器形と調和していることが本作品の大きな特徴である。鉛釉で彩られた三彩は、黄、緑、白の色合いを基調とするが、三彩の確立によって、釉色による表現の幅は大きく広がった。本作には、その三彩表現が存分に発揮されている。

本作は、鳳凰を象り、注ぎ口がその顔となっており、やや歪んだ口を開け、目は垂れて窪んでいる。頭部と胴部を繋ぐ把手(取っ手)は植物の茎の形象を採り、葡萄の実のようなものを下部に付けている。胴部は、鳥の柔らかな身体を思わせるように中央よりやや下側でぷっくりと膨らむ。外面には多くの装飾が施されるが、中央部分には鳳凰を表す計五つの円相が配され、円相の間には植物文様、またこれらの上下には植物文を入れる蓮弁形がそれぞれ表される。これらの文様は全て貼花(ちょうか)と呼ばれる型押しによるもので、実のところ数種類の型しか用いずに制作され、上下に反転させるなどして変化をつけている。 本作品のような形象の水瓶は、中央アジア或いは西アジアから中国に伝わった金属器を範としたものと考えられ、金属器に表された文様の立体性を貼花によって再現したと推測される。

唐三彩荷葉飛雁文盤(とうさんさいかようひがんもんばん)

中国 唐時代

唐三彩鳳首瓶とは異なった三彩の味わいを見せる作品。即ち、立体的な器形と流斑との共演によって魅力を発揮する前者に対して、本作は、平面的な器形に釉色そのもので文様を浮かび上がらせるのである。

三本の獣脚を持つ皿の表面には、中心から外側に向かって飛翔する雁、雲、霊芝、荷葉(蓮の葉)、そして白斑文が表される。白斑文以外は、型押しによって輪郭が作られ、刷毛塗りで白・緑・茶・藍を塗り分けて描かれる。雁周囲に配される雲文と霊芝文は、相異なる方向に旋回しており、平らな画面の中において動的な描写に成功している。一方、白斑文は、蠟抜きによる点描で表されており、金属器における魚子文(ななこもん)に類するこの文様は、東西交流によって金属器制作の技術を発展させた唐代の息吹きを感じさせる。

よく見ると、荷葉と白斑文の上には、計3つの目跡が残ることに気づき、このことから、本作は複数の同様の作品と共に重ねて焼成されたことが分かる。日本にも、同様の器形、文様から成る作品がMOA美術館等に所蔵されている。

黒釉銹斑文茶碗(こくゆうしゅうはんもんちゃわん)

中国 北宋時代

見込み(茶碗内側)の斑文は、碗の中心から放射状に延び、中央から流れ出す、或いは中央に吸い込まれる雲気のようだ。

この作品は「河南天目」と呼ばれ、北宋時代に中国北方で作られた黒釉陶磁として分類されるもの。元来、黒釉は青磁釉と同じく、灰釉から発達した釉色である。灰釉は窯で生じる灰がその発生を促したと考えられている。青磁と黒釉は期を一にして発展してきたとみられるが、漆黒色を呈した黒釉の古例は、後漢時代の中国江南地域のものが遺る。北方の黒釉の例はそれに遅れるが、青磁生産開始時期と同様、6世紀ごろとみなされている。

青磁釉や黒釉の色は釉中の鉄分によるが、この茶碗内側に施された斑文、あるいは側面の鉄銹(てつさび)を思わせる茶色も釉中の鉄分によるもので、その含有率などが発色に影響を及ぼしている。

青磁鳳凰耳花生(せいじほうおうみみはないけ)

中国 南宋時代

本館所蔵品紹介頁 http://www.hakutsuru-museum.org/collection/ 参照

五彩魚藻文壺(ごさいぎょそうもんこ)

中国 明時代

本館所蔵品紹介頁 http://www.hakutsuru-museum.org/collection/ 参照

金襴手獅子牡丹唐草文八角大壺(きんらんでししぼたんからくさもんはちかくおおつぼ)

中国 明時代 嘉靖年間 景徳鎮窯

嘉靖期(1522~66年)頃に景徳鎮の民間窯で焼かれた赤地金襴手の現存している最大の壺である。口頸部は八角形、肩から胴部はほとんど角が取れて、ふくよかな丸味を帯びているが、裾部は再度、八角形を形作るなど絶妙の造形を見せている。少なくとも胴下部で継ぎ合わせて成形した後、透明釉を掛けて焼き上げ、赤を主とした上絵付けを施している。頸部下の周りにラマ式蓮弁風の帯文、肩・胴部には緑を効果的に用いて区画を設け、中央に赤地の窓、四隅に蓮華文を配しその間をそれぞれ四方襷文(よもだすきもん)・七宝繋文(しっぽうつなぎもん)の地文様で埋めている。赤地窓などに金箔や金泥を用いて、より低い温度で焼き付けた金彩文様が施されることが多いが、この壺の場合、残念ながら痕跡を留めていない。また、底裏は露胎である。
さて、裾部は牡丹唐草の中を右回りに軽やかに駆ける、上睫毛(うわまつげ)を描いたひょうきんな表情の吽形(うんぎょう)の獅子を4頭描いているが、この獅子には少しも力んだところがなく、初発性を感じる。すなわち、絵付けをした陶工が、何かを真似したり、写したりしたのではなく、オリジナルな唐獅子牡丹図を描き出したからではないか、との勝手な解釈に誘われる。更に、吽形という淡い根拠を基に、この八角大壺は双器の片割れであって、もう一方の壺には阿形の獅子が描かれていたのではないかと憶測を逞しくしている。
なお、金襴手は日本における呼称で、元禄四年(1691)に纏められた大坂の両替商、鴻池家の蔵帳に見える「金襴手茶碗、五ツ代銀弐拾両」という記録が、金襴手という用語の初見とされ、中国から舶載された織物の「金襴」のように見えるところから、そう名付けられたと看做されている。 ところで金襴手はトルコのトプカプ宮殿やイランのアルデビル宮殿、またヨーロッパに若干数伝存している他、大半は日本に伝世している。本来、中国の富裕層向けに作られたのだろうが、お茶人を初めとする日本人の好みに叶い、優れた作品が日本に集まった。傑作例としては、この八角大壺の他、「赤絵金襴手孔雀文水注」(明時代16世紀後半 総高24.9cm 五島美術館蔵 重要文化財)や「赤絵金襴手牡丹文六角瓢形瓶」一対(明時代16世紀中期 高さ27.9cm 畠山記念館蔵 重要文化財)そして「赤絵金襴手牡丹文瓶」(明時代16世紀後半 高さ29.0cm 根津美術館蔵 重要文化財)などが知られる。

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