展覧会

2018年 春季展

本館

荘厳 ー香、華、燈ー

仏を敬(うやま)って飾ることを意味する荘厳(しょうごん)。その主な要素である香(こう)、華(げ)、燈(とう)(ともしび、光)は古来、日常生活で人々を喜ばせ続けてきました。美を探求する際、しばしばこの三要素が深く関わり、造形活動が行われます。それらは各種の宗教にも取り込まれて、敬虔(けいけん)な存在を崇(あが)める作品として実に豊かな発展を遂げました。中でも仏教では、広範な技法と素材が駆使され、仏の清浄な空間(浄土)を演出する作品たる荘厳具に昇華しました。

当白鶴美術館は、古くは日本・飛鳥、中国・北斉時代にまで遡(さかのぼ)る荘厳具の優品を数多く所蔵し、仏教荘厳の様相を一望できる美術館としても知られています。 本展覧会では、香、華、燈の三つのキーワードを基に、荘厳具をはじめとした当館所蔵品を展示し、人々を魅了し続ける美の根源を探ります。

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主な展示品

― 香(こう)―

青銅鍍金獅子鎮柄香炉

青銅鍍金獅子鎮柄香炉(せいどうときんししちんえこうろ)

中国 唐時代 H.8.7cm L.41.8cm

柄香炉は僧侶などが手に持って仏前で献香するための供養具。炉は二重で、内に嵌め込まれた香を焚く落し炉は口縁が大きく外反りした朝顔形の炉縁の上に、複弁の蓮台に坐すやや前傾姿勢の金銅製の獅子を取り付け、それが鈕の役割を果たしている。炉と炉座に柄から延びた肘木、炉を支える金銅製の束(柱)と蓮華座、そして20花の小さく刳られた台座をしっかり接合している。その際、鋲の平座金(ワッシャー)として、錫(銀?)の薄い円板や金銅製のやや厚みのある円板を交互に重ねて使用し、柄の末端に置かれた鎮の金銅製獅子もよく似た仕方で、もっと簡略に接合している。柄の炉に近い部分に釘留した透彫のある心葉形(或いは杏葉形 全体の輪郭がハート形に近い)の青銅板には本来、2つの半球状の飾金具が付けられていた。なお、心葉形の飾りと類似のものが、玉虫厨子須弥座正面の「舎利供養図」に登場する二人の胡跪(こき)の僧侶が持つ柄香炉にはっきりと見えている。類例として、1984年に中国・河南省洛陽市にある神会和尚墓<永泰元年(765)>から出土した獅子鎮柄香炉があり、また正倉院にも獅子鎮柄香炉が4柄伝わっていて、火炉と長柄、台座の接合に本品と同じような方法が用いられている。

青銅鵲尾形柄香炉(せいどうじゃくびがたえこうろ)

中国 唐時代 H.7.5cm L.37.2cm

柄香炉は、聖徳太子孝養像などに見られる如く捧持して仏前で焼香供養するために用いる。『金光明最勝王経』「四天王護国品」では、焼香の香煙は遍く三千世界に至ると、焼香の功徳を讃えている。その作法、風習が中国では何時代に始まったのか必ずしもつまびらかではないが、その様子は、例えば、北魏時代の鞏県石窟第四窟南壁西側の浮彫「礼仏図」(上層と下層)に明確で、特に上層に表された礼仏集団の先頭に立つ僧侶が持つ柄香炉の柄端はまさに三叉に分かれた鳥の尾羽を象っており、鵲尾形柄香炉を彷彿とさせる。

さて、この柄香炉は炉・台座・柄で構成されており、それらはかしめによって組み立てられている。深く大きな炉は33花に小さく刳られた菊花形台座と、柄から伸びた環形の先端と束(柱)を介して接合され、また柄の炉に近い方は如意のような形で丸い突起が二つ付いている。柄の両縁は蛇行するように形作られ、折れ曲がった末端は切れ込みの入った、あたかも鳥の尾羽を思わせる姿で、中心に点のある円文が6個陰刻線で施されている。

なお、もう1柄の鵲尾形柄香炉と比較した際、その手取りの軽さから、銅合金の中でもいわゆる響銅(銅約80%、錫約20%)と呼ばれる部類に属するかもしれない。

青銅鍍金透彫獣脚香炉(せいどうときんすかしぼりじゅうきゃくこうろ)

中国 唐時代 H.18.1cm

蓋と火炉(灰器)からなる青銅製の獣脚香炉である。蓋の鍔状の外縁と火炉は八角形に作られ、鍍金がよく残っている。火炉の側面には、緩やかな稜角のところに口から力強い獣脚を出した2本角の獣面(4面)を3ヶ所で釘留めし、その間の4つの浅い角には遊環を銜(くわ)えた獣面(4面)を同様に留めている。蓋は外縁を八角形に作るが、全体は上面を平坦とした半球形に立ち上げ、鈕は蓮蕾を象りその周囲に鶏冠をもつ鳥が3羽表され、また、蓋の肩に雲文形の孔と円孔を廻らせ、そこから香煙を上らせる構造になっている。

唐時代の香炉には、5脚、6脚のものは見られるが4脚の獣脚をつけたものは珍しく、また八角形の器形も類例の見当たらない非常に希少な作例と言える。 陝西省臨潼県新豊鎮慶山寺塔<開元二九年(741)再建>の地下の主室前方中央に置かれていた香炉は、火炉の側面に口から力強い獣脚を出した獣面(6面)とその間に遊環を銜えた獣面(6面)を釘留めしている。当館の香炉の制作年代を考える上で、極めて参考となる出土例である。

― 華(げ)―

青銅浮牡丹文花生(せいどううきぼたんもんはないけ)

H.42.4cm(台座を含む)

この花生(一対の内)の胴部、各花文の中央などには、「京法花寺」と一文字づつ線彫が なされている。 「法華寺形」とも称される器である。その器形的特徴は、胴部に膨らみがあり、また頸 部が口にかけて緩やかに広がる「尊形」といわれる形である。 また、胴部に先の花文唐草、最下部に配された浮彫の連弁が施される。全体にずっしりとした趣があり、まさに仏前などを荘厳する花瓶に相応しい意匠だ。

この花生の名称は、胴部の花文を「牡丹文」と見做して名付けられているものだが、細く先端が丸くなった花弁の連なりは菊花のようにすら見え、さらに、胴部を巡る四つの各花文は単一花文の反復でもない。これらの文様は、牡丹文に通じる仏教的な植物文「宝相華文」としてもよいだろう。

なお、各葉文には、「正中二年晩冬」との線彫りもあり、鎌倉時代末期、1325年12月(旧暦)の製作とみなされている。

羅漢図(らかんず)

鎌倉時代 (展示期間5/15~6/10) 232.2×76.1㎝

羅漢(悟りを得た修行者のこと)が画面内に大きく表されている。その手には、蓮台に置かれた仏歯(釈迦の歯)があり、その尊さが示される。脚元の獅子の眼には朱、頸や尾の毛には群青を用い、神獣としての存在感を表している。百獣の王たる獅子が百華の王とされる牡丹を銜(くわ)え、羅漢のもつ釈迦の仏歯を荘厳する図である。牡丹は薬として日本の寺院へもたらされ、また栽培されたともいわれているが、仏教美術作品のモティーフとしても牡丹文は蓮に次いで多くみられる花文である。この牡丹の陰影のやわらかく動きのある花弁は、南宋画院に通じる美しさがある。中国の美術工芸作品のなかでも、牡丹は宋時代になり花文の代表的なモティーフとなっているが、豪華な美しさが富貴の象徴ともなり、吉祥の印としてみなされたためである。

なお、羅漢図は、十六羅漢・十八羅漢・五百羅漢といった複数一組で構成されることが多い画題である。この作品の場合、一幅に一人の羅漢が描かれており、十六あるいは十八を一組として構成された羅漢図の一部と考えられる。なお、京都、妙心寺塔頭大心院に、この作品に先行する例とみなされる羅漢図が所蔵されている。

高野大師行状図画 一巻(こうやだいしぎょうじょうずが)

(展示期間4/10~5/13) 131.5×1342.9㎝

詞書に「阿波乃国大瀧の獄にして虚空蔵法を修し給けるに大剣とび来て菩薩の霊応をあらはすといへり」とあり、この場面は、高野大師(弘法大師)が剃髪出家する以前に、「虚空蔵法」という密教のきまりに則り祈願を行った逸話を描いたものである。大師は、漆塗の卓を前に座す童形の姿である。雪のみえる山肌や木々と、険しい山中、叩きつけるように落ちてくる水の表現が寒々しい。

黒と朱漆で塗られた美しい卓の上には、密教道具が並んでいるのがみえる。手前の中央にみえるのは蓋が火屋になっている据香炉であろう。そして奥側中央には詞書にある「飛来した大剣」が描かれ、その両側に徳利形の華瓶が描かれている。入っているのは樒(しきみ)である。これは香をもつ植物である。密教壇具と呼ばれるような道具には必ず、こうした華瓶がみられるが、美しい花を生け供えるというものとは性格を異にする。

― 燈(とう) 及び諸層 ―

白石蓮台(はくせきれんだい)

中国 北斉時代・武平元(570)年 高さ25.3㎝

乳白色の白大理石による蓮華の台座。仏像の足元に置かれた台座は、香炉、蓮華や宝石、輝く光の要素、そして神獣を散りばめ、仏を飾る荘厳具を代表する作品の一つである。

本作も当初は、上面中央部に大きく空けられている枘穴に仏像を挿して用いられた。その枘穴内には朱字の銘文が書かれる。ここから、本作が北斉時代・武平元(570)年に呂氏により、国の繁栄と儲宮(皇太子か)の幸福を願って発注・制作された観音像の台座であったことが分かる。八方五段の蓮弁によって構成される本作には、蓮を支える獅子や畏獣、博山炉などを配し、それぞれに緑青、群青、朱で彩色し、墨で面貌が描かれる。仏像にたむける香を入れる博山炉が当初は正面にきていたはずで、博山炉及びそれに近い獅子や畏獣には、貼金がふんだんに施されていた。それに対して、博山炉とは逆の背面にある像には貼金がされず、また人面や猿面の畏獣や蓮華化生、連珠内の獣面など新たな要素が加わっている。

蓮弁をはじめとして各モティーフはいずれもぷっくりと肉付きよく、柔らかみがあり、白大理石という素材や彩色方法と共に、6世紀後半・北斉時代の中心地であった現・河北省辺りの作品の特徴をよく備えている。しかし、本作ほどに立体感のある蓮弁、保存良く残る彩色を備える作品は他に例がない。

鍍金鎚鍱仏(ときんついちょうぶつ)

中国 隋時代 15.7×15.1㎝

前面に鍍金が施してあり、当初は現状よりもキラキラと美しく輝いていたのであろう。四隅と内部の計八か所に穴が開けられており、板に貼って厨子などに安置されていたのと考えられる。中央に大きく仏を表しており、香炉、蓮台、光背と荘厳の三要素を備えている。

鋳銅の原型に銅板を押しあてて像容を打ち出し、更に原型を用いずに鑿で深く打ち込み、その後に表面線刻等の細部表現を加えている。地の面から大きく1.8㎝程浮き出る立体感は見ものである。中尊の如来と脇侍菩薩、弟子の五尊像を中心に周囲に供養菩薩坐像と飛天を配して構成される。如来は、宝珠形の頭光を負い、敷茄子を備える立派な蓮台に坐している。敷茄子の表面には線刻で小さな蓮が描かれている。如来の上部には飛天が小さな傘蓋を持って飛んでおり、また植物も飛翔している。脇侍と弟子は、いずれも下部から生え出る蓮の上に立つ。左脇侍は、蓮茎、右脇侍は梵篋(重ねて箱状になった経典)をそれぞれ手にしており、弟子には老若の区別がつけられる。弟子像は通常と異なり最も外側に配されている。また脇侍が立つ蓮は、如来の台座下の蓮華から派生したもので、その蓮華の上部には、博山炉が置かれている。以上の他に、画面最下部の左右には、胡坐の供養菩薩各一体が片手に火炎宝珠を手にして如来に身体を向ける。如来を崇め、飾るという荘厳が大いに行われている。

同一の原型から制作された作品が、他に四点あり、MOA美術館等に所蔵される。

阿弥陀三尊画像(あみださんぞんがぞう)  一幅

朝鮮 高麗時代 絹本著色 133.3×58.9㎝

阿弥陀如来を中心に、その左に観音菩薩、右に勢至菩薩をそれぞれ配する。朝鮮半島において高麗王朝期(913~1392)に制作された所謂高麗仏画である。三尊共に踏割蓮台上に斜め向きに立ち、画面に奥行を感じさせる。いずれも光の表現である光背を負う。阿弥陀は逆手来迎印を結ぶが、飛翔を示す雲などは見られない。左右の脇侍は、それぞれ水瓶、火炎宝珠を手にする。

高麗仏画の特徴である豊かな装飾性を本作品も備える。各像の衣には団花文や亀甲繋文等が施され、それらはまた衣の襞に呼応して折れ暈を入れ、現実的に仕上げられる。両脇侍共に白い透けるヴェールを頭部から体部を覆うように纏う。ヴェールは、左脇侍では交叉する斜線から成るのに対して、右脇侍では亀甲文を織り成すなど変化がつけられ、美麗表現に細心の意が注がれている。また肉身には柔軟な描線が用いられ、眼には目尻と目頭にグラデーションが加えられて立体感を持たせている。絵画形式は他の作品にも共通するものであるが、丁寧な仕上げによって面貌、肉身に奥深さが伴い、装飾性とのバランスで程良い生身性が生まれている。2016年度の修理の際に、塗り分けられた豊かな裏彩色の存在が確かめられ、また既に模糊としているが、画面向かって左下に印章(鼎印)も入れられる。製作年代は14世紀であろう。

几帳飾(きちょうかざり)(金銅装唐組垂飾)

飛鳥時代 L.85cm W. 10.8cm 法隆寺伝来(展示期間5/15~6/10 )

茜を基調に、紺・緑・薄茶の色糸と金糸・銀糸で入子菱文様に組んだ唐組帯に、金銅透彫金具と金銅鈴を飾りつけたもの。金・銀糸は絹の芯糸に細長い箔を巻きつけた撚り糸である。山形の金具は、唐草文を薄肉透彫りして細部に線刻を加え、裏から鏡板を当てて鋲止めしている。当館及び他館所蔵の同様の作品から、先端の11の突起には赤い糸房が付き、帯の両端に金具があったと考えられる。金銅鈴は細長い蓮実形で表面に六葉の蓮弁が線刻され、鎖と花形座金がつく。法隆寺献納宝物には、その形状から、仏事の場を飾る幡の一部とわかる多くの染織品が含まれている。幡頭部に組紐を用いた例や、錦の帯状紐の先端を糸房付きの山形透彫金具で飾った例もあり、装飾手法に類似性がうかがえる。

本作品は法隆寺伝来品であり、寺伝では推古天皇あるいは間人皇后の几帳(室内を隔てる調度)の垂飾金具とされる。また『法隆寺伽藍縁起并流記資材帳』の記述から天武天皇の寄進になる繍帳に付属した鈴つきの帯に関連付ける見方や、中宮寺の天寿国繍帳に付属するとの見方もある。

四季花鳥図屏風

桃山時代 伝狩野永徳筆 (展示期間4/10~5/13 ) 164.6×359㎝

大画面に極彩で描かれた花鳥図である。金箔の輝きが大画面をさらに迫力ある印象を高めている。桃山時代はより装飾性が増した時代であるが、この作品中、例えば、胡粉盛り上げで華やかに装飾された菱形金雲は、その傾向を顕著に表している。

右隻には春夏、左隻には秋冬の情景を描いており、ひとつの作品の内に四季全てを表すという構成によって、永遠の時を示すともいわれる。それは、この世の世界とは異なる清浄の空間である。

この図は右隻右側から中央部までの四扇部分で、右端には太湖石と呼ばれる奇岩が配され、その上部には満開の桜が描かれている。左側(屏風としては右隻中央)に、右隻の主役たる鳳凰が鮮やかな羽を広げている。鳳凰の頭上には、この伝説の瑞鳥がとまるという桐を配し、祝賀的な印象を醸し出す。なお、左隻の中央には、豪華な羽をもつ孔雀が表され、紅葉・松や遠景の雪山などで構成されている。

なお、この作品は、桃山時代の巨匠、狩野永徳の筆によると伝えるものだが、各モティーフを大きく描くような傾向はみられるものの、永徳の画によく指摘される部分的なクローズアップによる大胆な構図が伺えるわけではない。そうした過渡期を示す作風という見方からも、その父、松栄の筆ではないかとの指摘がなされている。

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